伝統の歴史
嘉永年間、安政二年(1855年)の創業以来、当主・和助の名を九代にわたり継承してまいりました。広島・三次の地で、時代が移ろいゆく中、変わらぬ製法と心を守り続けてきた「東地屋」のこれまでの歩みをご紹介いたします。
初代 和助 ~1810年
二代目 和助 1810年~1842
三代目 和助 1842年~1844
東地屋創業、安政二年の和菓子の御用帳があることから、創業日とされています。また御上菓子所看板も1855年頃から1860年頃に作られたものだそうです。
四代目 和助 1844年~1869



五代目 和助 1869年~1919

東地屋では五代目 和助が泡雪を発案したとされています。
口伝では京都を旅したときの山芋料理の上品さにヒントをえて考案したという。

五代目 和助 受賞
1895年7月11日
第四回内国勧業博覧会褒賞 【泡雪】

五代目 和助 登記簿登録
1913年7月9日
泡雪製造元祖

五代目 和助 受賞
1914年5月1日
第六回日本産業博覧会三等賞銅杯 【玉子羊羹】

五代目 和助 受賞
1915年10月26日
帝国製菓共進会進歩銀杯 【泡雪】
六代目 和助 1919年~1921

六代目 和助 受賞
1921年4月13日
第四回全国菓子飴大品評会金杯 【泡雪】
七代目 和助 1921年~1973

7代目 和助 受賞
1931年5月22日
第一回三次生産品審査会一等賞 【泡雪】

7代目 和助 受賞
1931年11月1日
全国土産品展覧会当選 【泡雪】

7代目 和助
1934年11月3日
三次菓友会員一同で制作した菓子(泡雪・玉子羊羹)天覧品(天皇陛下が直接ご覧になった品物)をお清めしている写真。
この頃までは三次本通りに店を構えていたが、当時の広島第11連隊の要請で本通りの店を閉めて広島市にでた。広島では楠木町で店を開き十一連隊の御用を務めていたが原爆の被害を受け一切を失った。戦後1945頃、再び三次に帰ったが店もなく、親戚の家を借りしばらく暮らしていたが、周りからの勧めもあり、三次町で東地屋として和菓子店を再開。
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7代目 和助
1950年ごろ
民家を改装して東地屋再開
八代目 和助 1973年~1994

8代目 和助
1972年からの菓子製造ノート
7代目からの技術と知識をまとめたものになります。
この時にはアン製造,求肥製造、上物落雁、蒸し饅頭の生地、カステラ饅頭の生地、蒸し羊羹、泡雪、紅羊羹、黒羊羹、玉子羊羹の作り方が書かれています。
1994年~2013

8代目 和助の妻
8代目の死後、しばらく店を閉めていたが、周りのすすめもあり再開。
8代目と一緒に作っていた泡雪と玉子羊羹を引き継ぎ守っていました。
この時から東地屋の和菓子は泡雪と玉子羊羹のみの販売になりました。
九代目 和助 2013年~現在

9代目 和助
2010年頃から修行をし始め2013年に東地屋 和助を継ぐ運びとなりました。
当初、机にされていた元祖 泡雪の看板を復元して、
2014年に現店舗に移転いたしました。

掲載実績
2014年 雑誌【ノジュール】掲載
2015年 三次ブランド認定
2015年 【Grandeひろしま】掲載
2020年 【皇室・大名家ゆかりの手土産50選】記載
2020年 中国新聞記載